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■ひろ(戸の上中出身)さんへ
家内に訊いたら「スチャラカ、えっへん」「スチャラカ、あいこで」とか言うじゃいけん遊びと言ってましたが・・・「スチャラカ」しか覚えてないですね。
あの頃は、円を描く木の枝ひとつ、ゴムボールひとつで、夕方まで遊んでいたんですよね。
■りょう君の母さんへ
写真、どうもありがとうございました。
幼稚園の大きなやかんの麦茶の話しをしましたが、食べた後の弁当箱に、ぬるいお茶を入れてもらって飲んでました。
■丹沢さんへ
町内の行事と言うよりは、隣近所でよく集まっていました。
僕が子供の頃も、近所家族と旅行に行ったり、餅つきをしたり、テレビでプロレスを見たりで仲良くやってました。
戦中の「隣組」制度の名残だったんでしようか。
本町1丁目に住んでいたお客さんから話しを伺いました。
「関門トンネル出口付近には釘などがいっぱい山積みされていて、それを古鉄屋さんに持って行ってお金にしていたの。修学旅行も、その貯めたお金で行けたのよ。また東口の踏切では、レール脇に落ちていたガラ(石炭くず)を拾って、お風呂の焚き物などにしていたわ」
岡っ引きさんの掲示板で、レールで釘をペチャンコにする話しで盛り上がっていましたが、今考えると、その危険さにぞっとしますね。
原町付近では、ガラを取りに行っていた大人の方が汽車に轢かれて亡くなられたと高田町の商店主の方が話してくれました。
本日の写真は、大里東にある廣済寺保育園。
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